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にじのはなのほし

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アダムとエバが失った楽園を回復できるようにと願いを込めて“復楽園”としました。地上の天国・楽園を目指しつつ手探りしながらでも前向きに過ごす日々です

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チューターから教わったこと その2

1月25日の記事タイトル、パート2です。
チューターから教わったこと

奥さんがチューターを始めてから間もなく8ヶ月が経とうとしております。
当初の目的はミシガンテスト合格でしたので、週二回計4時間の勉強でした。
が、残念ながらパスできませんでしたので、念願だったオンラインラーニング入学はいったん置いておき、残されたフィリピンライフを楽しもうということになりましてからは、週一回2時間の勉強となりました。

それで今日は何を習ったのかを聞いてみましたら・・・ 「ホームスクーリング」という、にじのはな夫婦が関心のある話題についての情報を得たとのこと。
これまでにじのはなたちは「ホームスクーリング」をしたいねと話し合っておりましたが、情報や材料が少ないという先入観にとらわれており、なかなか一歩を踏み出せずにおりました。
ところが、HSLDAという協会ホームページがあると紹介され、そこを検索。
すると日本支部も存在することを見つけました。(チア・にっぽん

そこのQ&Aで「社会性は育つのでしょうか」に対する回答を読みました。

「より良き親子関係、神との関係が確立されると、健全な自己が形成されていきます。それは、優れた社会性がはぐくまれる強い基礎となります。
また、ホームスクーリングは授業の編成が自由なため、様々なボランティア活動、学術・スポーツ講座などへの参加を積極的に展開しやすくなります。
さらに、同年齢だけでなく、違った年齢層の人々と交わる時間も増え、より実社会に近い形でのコミュニケ―ション能力が発達し、独立心や積極性が育ちます。友達と一緒でなければ何もできないという友達依存性は少なくなります。
アメリカの歴代大統領のうち、ワシントン、リンカーン、ルーズベルトら7人、医療伝道のシュバイツアー博士、鉄鋼王のカーネギー、フィギュアスケートのクリスティ-ヤマグチらがホームスクーリング出身者です。」

どのようなことにも長短ございますが、ホームスクーリングの利点をあえて一つだけ記すとすれば、以下のようなことではないでしょうか。

学校教育では報酬をあてにするというモチベーションを生みやすい。
横一線に並んで、よーいドン!
そして、たとえば、100点をとったら~とか、あなたはうまくできるから(あるいはできないから)~という価値観が育ちやすい。~ならねばならないという仮面をかぶりやすい。
いっぽう、ホームスクーリングでは、自分は○○が得意だから、好きだから、もっと勉強したいという、自らの関心と興味にしたがって、それぞれの学力に応じて、知識や知恵を蓄えていける。ありのままの自分でいられる。


教育でも何でも、報酬をあてにして何かをするというのは非常に一般的じゃないか!と思われるでしょうか。
けれども、そのような一般的な教育が、さまざまなひずみをはらんだ現代社会を日本国内外に生み出しているとすれば、これはまた恐ろしいことだとも思われませんか。



「教育」(福音社)という本から、エレン・ホワイトのことばを引用します。

世界で最も欠乏しているものは人物である。
それは
売買されない人
魂の奥底から真実で、正直な人
罪を罪とよぶのに恐れない人
磁石の針が南北を指示して変わらないように、良心が義務に忠実な人
天が落ちかかろうとも正しいことのために立つ人
―そういう人である。

ここでは
~できる、できないということが取り上げられているのではなく
どういう人間であるかが重要であるといわれています。

もうちょっと平たく言えばこういうことでしょうか。
先輩牧師のブログ(ラターレイン)に紹介されていたビートたけしの言葉をご紹介します。

<転載開始>
Doingではなく、Beingの世界を生きる意味を考えさせてくれる
たけしの詩を紹介します。

「騙されるな 」

人は何か一つくらい誇れるものを持っている
何でもいい、それを見つけなさい
勉強が駄目だったら、運動がある
両方駄目だったら、君には優しさがある
夢をもて 目的をもて
やれば出来る

こんな言葉に騙されるな、何も無くていいんだ
人は生まれて 生きて 死ぬ
これだけでたいしたもんだ
騙されるな 

北野武
<転載終了>


社会を作るには教育が果たす役割は大きいですね。
しかし、今の教育では「ありのまま」Beingの価値観を上手に教えることができていないように思います。
そこへ愛する子供たちを放り込むのは無謀だと思えてなりません。

教育について考えるとき、いつも直面するのが自らの生き様です。
子供は親の後姿を見て育つとはよく言われますが、自分はどのような生き様で子供の前に立っているだろうかを考えさせられるのです。

そうすると、~しなければならない、というDoingの世界観になりやすい。
しかし、親が自分自身そのままでいいんだという安心、Beingの世界観を得られてはじめて子供の前に立つことができるのだから、やはり子育ては親育てだなぁと改めて思うわけでございます。

聖書は「見よ、子供たちは神から賜わった嗣業であり」と述べています。(詩篇127:3)
神様から賜り、お預かりしている大事な子供を正しく育てていけるために、にじのはなも奥さんも、「これじゃぁだめだ~」ではなくて「これでいいんだね」という捉え方ができるようになりたいと心から願っております。

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コメント

良かった。

私の犠牲は無駄にはなっていなかったんですね(T-T)
虹君もも花ちゃんも、愛情いっぱいに育っているようで安心しています。

ルルさん:

自分達の幸せは、おそらく、誰かの犠牲の上に成り立っているんでしょうね。考えさせられます。
愛情いっぱいにしすぎて、手が付けられなくなってしまわないか心配です。

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