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にじのはなのほし

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アダムとエバが失った楽園を回復できるようにと願いを込めて“復楽園”としました。地上の天国・楽園を目指しつつ手探りしながらでも前向きに過ごす日々です

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責任-自分のできること

にじのはなが学んでいる学校では、毎週一回、インターネットを活用できる技術や設備がありながらも、学内新聞が印刷されています。
先週発行分を何気なく手にとってみると、次のような文章が書かれていました。 「国際的な労働者の日(Labor Day)は、1886年5月1日に合衆国で立法することによって樹立された、8時間労働の公的許可の記念として多くの国々で祝われています。メーデーは、反発集会を通して労働者たちの不平不満を表す活動の焦点として、いくつかの国で現在も続いており、フィリピンのメディアでは、月曜日(5月1日)に反政府の反抗者たちがマニラで集会をすることを提案していると報じています。わたしたちがこの長い週末を楽しむことのできる間にも、ここフィリピンの子供達をも含めた世界中の多くの労働者たちが、労働に利用されないための法律があるにもかかわらず、過酷で危険な条件のもとで働いていることを覚えましょう。」

これを読んで感じたことは、フィリピンの子供達は本当に小さい頃から労働力として酷使されている現実を忘れてならないということでした。

確かに、小学校低学年くらいの子たちが重い荷物を運んでいたり、高学年生などは車の往来が激しい危ない道路端でタイヤを転がしていたりしています。
また、先週マニラに行った際目にした光景ですが、ゴミ収集をしているおじさんは手袋も靴も着用せず、素手素足で濁った液体がドロドロと出ているゴミを車に投げ入れていました。
小学校に上がる前の子供達が水浴びしているそのそばには、向こう100メートルくらいまでゴミがいっぱいになった、淀みきった川がありました。

汚い、臭い、気の毒だ、ここはフィリピンだから、などと簡単に言ってしまえる自分が恐ろしいと思いますが、法律があってもそれが守られていないなら、市民生活も荒廃していくしかないと、わずか2年も居ないフィリピン国家の行く末を案じてしまうのです。

数ヶ月前にはクーデターがあり、今日は首都でデモ行進でもあったのかも知れません。
知り合いのフィリピン人ドライバーに話しを聞くと、家には小さい息子が二人いるが、まともな稼ぎ(仕事)がないから、資格を取って外国で働いて仕送りする計画だ、フィリピンでの人生を考えると本当に悲しくなる、と言います。
たとい運良く仕事に就けても、半年後にはやめなければならない決まりなんだそうです。
おそらく需要が高いので、少しでも多くの人に少ない仕事を割り当ててやるという目的なのでしょう。
でも、そんな状態では本当に将来が不安で仕方ないに違いありません。

この悪循環を断ち切るにはどうしたら良いのだろうと頭を抱えてしまいますが、にじのはなにできることなど何もありません。
が、12年前に瀕死の状態から生還したにじのはなが、「どうやってお返ししたらいいだろうか」と考えあぐねていたときにいただいたアドバイスがヒントになるかもしれません。

「あなたが元気で存在しているだけで、みんなの力になれるんですよ」

フィリピンの人たちの力になることは何もできないけれど、自分が自分の生かされている場所で、精一杯に、背伸びせずありのままで生きていくことによって、この存在が誰かの力になれるとするならば、喜んでそうさせていただきたいと願うのです。

以下は星野富広さんというクリスチャン詩人で画家の作られたものです。にじのはなが大好きな詩です。うろ覚えですがこんな感じです。
(星野さんは、全身麻痺にも関わらず口で筆をうまく使って詞を作り絵を描くのです)

「木は自分で動き回ることができない。植えられたところで精一杯枝を張り、許された高さまで一生懸命伸びている。そんな木を僕は友達のように思う」

別の作品はこうです。

「何のために生きているのだろう/何を喜びとしたらよいのだろう/これからどうなるのだろう/その時私の横にあなたが一枝の花を置いてくれた/力をぬいて重みのままに咲いている/美しい花だった」

力を抜いて、でも許されたところで精一杯に生きることが、わたしたちすべての人に与えられた、“責任”なのかもしれません。

英語では責任を...

responsibility=response+ability(応答する能力)
accountability=account+ability(理由を説明する能力)
obligation(好意を示すこと)
burden(重荷)

などと呼びます。

自分が生かされている上で注がれる数々の祝福に対して反応し、
自分が生かされている理由を説明することができ、
人に好意を示し、恩義を施すことによって自分が生かされ、
自分が生かされていることの意味を重く受け止める、

まぁ、そこまで真剣に責任を感じなくても、上の詩のように、力を抜いてありのままに生きることができれば、まずはそれでよしとしましょう!

再度自分のいのちを考えさせられた休日。
少しはこっこにも優しい気持ちになれるのでした。

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