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にじのはなのほし

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アダムとエバが失った楽園を回復できるようにと願いを込めて“復楽園”としました。地上の天国・楽園を目指しつつ手探りしながらでも前向きに過ごす日々です

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お便り

今日、嬉しいお便りをいただきました。 一通はカード、もう一通は“声のお便り”です。
二通とも過去に着任した教会の方からのものでした。

今は欠かせない電子メールでもチャットでも、確かに交流は図れますし嬉しいには違いないのですが、肉筆や肉声でのやりとりというものは、なんとも嬉しく温かいものだと感じます。

そういえば、今、日本は年賀状のシーズンですね。
にじのはなたちは「生まれました」カードと一緒に、クリスマスと新年の挨拶をまとめて出しましたが、郵便局に持っていってお金を払えば、ちゃんと届くのですから、郵便ってありがたいなぁと思うわけです。

フィリピンの郵便物は全部局留めです。
ですから、郵便を出したり受け取ったりするには、自分たちで足を運ばなくてはなりません。
また、出すのにお金を払うのは当然ですが、受け取るのにも“保管料”といって料金を取られます。
日本だとポストがあってそこに集めに来ますし、自宅にさえも郵便小包なんかを集荷に来てくれますね。
また、はがきや小包等を戸別に届けてくれて、不在の場合には通知書まで置いていってくれるのですから、(当然、保管料は取りませんね。)素晴らしいシステムだと賞賛したくなります。

でも、今日のニュースにあったように、配達員が「面倒くさい」なんてことで、メッセージの詰まった(中には事務的なものもあるけれど)大切な年賀状を雪の中に隠したり、自室の机にしまいこんでしまうなら、お便りも意味をなさなくなってしまいますけどね。

そう考えますと、いくら賞賛に値するようなシステムであっても、信頼がなければそのシステムも活きないわけです。
いっぽう、自分の手で郵便を出し、受け取るのは、面倒ではあるけれど非常に安全で確実です。

どっちのシステムがいいのかはわかりませんが、ひとつ思い出すことがあります。
ずいぶん以前に教会で聞いたあるご婦人のお話です。

「わたしは、どんなに大したことのないような葉書であっても、きちんと届きますようにと祈って投函するんですよ」

そして郵便を通して相手の方に気持ちが通じますようにとも祈られるそうです。

ちゃんと配達されるのはもちろん必要ですが、もっと大切なのは、“お便り”が届くこと、つまり文通することなのかも知れません。
郵便を介して相手と通い合うこと。
これがあるからこそ、“お便り”は嬉しいのですね。

聖書のことばです。

「父なる神とわたしたちの主イエス・キリストから平安ならびに信仰に伴う愛が、兄弟たちにあるように。変わらない真実をもって、わたしたちの主イエス・キリストを愛するすべての人々に、恵みがあるように。」(エペソ人への手紙 6:23,24)

手紙をしたためた使徒パウロの祈りと“こころ”が、今のわたしたちにも通じてくるのでございます。

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コメント

あけましておめでとうございます。

おじゃましてみました。

hirokiさん

よくおいでくださいました。
本当はHPでもやりたかったんだけど、手始めにブログから・・・。

今年もよろしくね。

BLOG開設おめでとうございます

昨年から拝見していたのですが、なんだか身辺ドタバタしていたので、コメントすることもままならず、失礼いたしました。

にじのはなさんらしい文章、読んでいて、ホンワカした気持ちになれます。フィリピンでの学生生活のゆとりが、こちらにも伝わってくるようです。

インターネットがここまで普及した世の中だからこそ、手書きのお便りって、本当に嬉しいですよね。僕もたまにはお手紙書こうかな…。

手紙送ってくださ~い

なりさん

立ち寄ってくださってどうもありがとうございました。
ブログって始めてみると、コメントが欲しくなりますね。
だから、嬉しかったです。
また来てくださいね。

手紙、待ってま~す(゚σ・・゚)ホジホジ

※キーボードをたたくのに慣れてしまうと、ペンを握って字を書くのがつらいと思うのはわたしだけでしょうか?

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